体重・筋量UP
私が自分の筋肉と初めて出会ったのは、小学6年生の時。
比較的早い方ではないかと思う。
しかし、筋肉、筋力というものは小学校3年生という比較的早い時期から意識していたように思う。今考えると、育ってきた環境も大きかったのだろう。
私は誰もが驚くほどの山奥に生まれた。
街で育った友人が遊びに来れば、テレビでしか見たことのない風景と言われ、茅葺屋根の家も存在した。家に帰れば裏山で獲れたイノシシや鹿を庭で解体し、酒盛りが行われ、友人宅の前を流れる川で、50cmのオオサンショウウオを捕まえたこともあった。
とにかくそんな山奥で育った。
そんな山奥で、春には野山を駆け回り、夏にはプールよりも川で泳ぎ、秋には山にアケビを獲りに入り、冬には雪原で転げまわるなど、活発な幼少期をすごしていた。
ただ、私には周りの子どもたちと明らかに違うところがあった。
それは体重。
保育園に通い始めたころの体重は周りの友達の倍近く。小学校入学時の体重は40kg。2年生のころには60kgを超えた。つまり太っていた。それもかなり。記憶には太っている自分しかいないため、いつから太っていたかすら不明である。
そんな体格のため、小学校1年生から運動会での組体操6段ピラミッドでは1番下を任された。その他、綱引きでは頼りにされたが、運動会での花形は徒競走やリレー。しかしその体重ゆえ、走るのが苦手だった私は、徒競走やリレーで活躍できるはずもなく、小学校2年生まで足手まとい扱いだった。
そんな私の扱いを知ってか知らずか、小学校3年生のころ(当時体重70kg超)に父親から言われた言葉が、私の転機となったように思う。
「お前は筋肉がないから走っても遅いし、鈍くさいんだ。筋肉をつけて筋力をつけろ」
父親は比較的大柄であり、職種は林業。日々チェーンソーを担いで山に入り、よく力こぶを見せてくれていた。当時、私はまだ小学3年生。筋肉、筋力という言葉の意味もよく知らなかったが、なんとなく「力をつけて強くなればいいんだ」と理解したように思う。
余談だが、家に帰る道中、たまにイノシシや鹿に、ひどいときには熊にも遭遇した。特に帰宅中に熊に出会うと、足がすくんでまったく動けない。その身体の大きさ、たくましい前脚、爪、獣臭…。「蛇に睨まれたカエル」という言葉があるが、熊に出会うと別に睨まれなくても動けなくなるのだ。その時に人間の肉体的弱さを思い知らされた気がする。だからこそ、身体を強くしたいという思いが強くなったのかもしれない。
肉体への興味を持ち始めたころ、タイミングよく、通っていた小学校に相撲で国体に出場した先生が教頭として赴任してきた。そして私を見るなり、「相撲やろう」と誘ってきた。
力をつけて強くなりたかった私は、相撲を始めることになった。
四股やテッポウ、腕立て伏せやぶつかり稽古など、言ってみればこれが初めて経験する筋力トレーニングだったと思う。きつかったが、相撲を始めて半年後には県下の大会で優勝することができた。そこから身体を強くする楽しさに目覚め、飯を食い、稽古をした。小学校6年生になると、私は身長160cm、体重は90kgを超えるまでに成長した。
この時、私はあることに気づく。
身体は大きくなったが、走っても友達に負けなくなったのだ。運動会での見せ場は組体操と綱引きのみだった肥満児が、小学校6年生のころ(相変わらず肥満児だったが)には、徒競走やリレーでも頼りにされる存在になった。これは素直にうれしかったし、自信にもなった。
そしてこの時、決定的な出会いを経験した。
ただ何となくであるが、風呂上りに父親が力こぶを見せていたのを真似て、腕を曲げ、力を込めた。
すると、それまでぷにゅぷにゅだった腕の中に、固いボールのような何かを感じたのだ。
肥満児だったため、腕にカットが入っているわけではない。しかし触ってみると、柔らかい脂肪の奥に存在する筋肉を、確かに感じた。
「もしかして、これが僕の力こぶ?」
父親でも、学校の先生のでもなく、自分の筋肉。脂肪の下からだけど、少しだけ顔を見せてくれたシャイな筋肉とのマッスルミートだった。
中学に入り、陸上競技(砲丸投げ)と出会い、日々走ったり、跳んだり、投げたりといった練習を重ね、私の筋肉は次々と顔を出してきてくれた。
中学2年生の時からウェイトトレーニングも少しずつ行うようになってきた。
学校にサッカーの国体選手でもあった体育の先生が個人的に持ち込んだベンチプレスラックがあり、先生がベンチプレスをやっていた時、「お前もやってみるか?」と誘われ、生まれて初めてバーベルを握った。
その時、先生は60kgでトレーニングをしていたと思う。私も60kgに挑戦したが、いとも簡単にそれを挙げることができた。驚きの表情を浮かべた先生はその後、次々と重量を追加していく。そして私はそれらを次々と拳上していった。
先生のMAXである95kgを挙げ、調子に乗って100kgに挑戦、そして何とか拳上することが出来た。初めてのベンチプレスMAX挑戦は、中学2年生の5月時に100kgということになった。
この時の体重は90kg前後。はじめて自分の体重以上のものを持ち上げることができ、自分の筋力を数字で認識できたことで、何とも言いようのない、それでいて気持ちのいい達成感を覚えた。
そして、それには中毒性すらあるようだった。今まで感じたことのない、パンパンに張った胸や肩から発せられる筋肉の叫びが聞こえてくる。これまでシャイだったのが嘘かのように、
「もっと刺激を!!」
「もっと重さを!!」
「そうすれば強くしてやる!!」
「彼ら」はそう叫んでいた(ように思えた)。私が初めて彼らに出会ったのは小学校6年生のころだが、声を聞いたのは中学2年生の5月。適切に話しかければ、彼らは顔を出してくれる。そう感じた私は15年以上、いまだに対話を続けている。
長年の対話を通してわかったことがある。それは彼らが飽きっぽく、そして嫉妬深いということだ。同じことを繰り返して退屈させてもダメだし、他の楽しいことにかまけていると、すぐにそっぽを向く。
大飯食らいでもあり、自分の食欲を超えても、彼らに食わせなければならないこともしばしば。時にはさまざまな快楽に背を向けて、彼らと向き合わなければならないこともある。
しかし、彼らは私が本気で向き合えば、確実に私の身体を強くしてくれた。「もっと大きく、もっと速く、もっと強く」という私の願望を裏切ることは、決してなかった。
そして、誰もが驚く山奥で育った私にさまざまな世界を見せてくれ、多くの仲間も作ってくれた。これが彼らの素晴らしいところだと思う。また、いくつかの研究によれば、たとえ90歳を越えたとしても、彼らは成長するらしい。一生をともにすれば、決して退屈することはないだろう。
私はこれからも彼らとの対話を続けていくが、彼らが今後どんな世界を見せてくれるか、楽しみにしていようと思う。
私が筋肉を発達させていく上で、もっとも重要な盟友といえばクレアチンである。
マッスルミートを経て筋肉と対話するようになると、彼らの要求はエスカレートしてくる。そしてその要求に応え続けることで、彼らの支持を得ることができる。そうすれば彼らは、必ず成果を出してくれるのだ。
大学生のころ、当時私は陸上競技の選手(このころは円盤投げ)としていい成績を残すために、とにかくガムシャラにハードなトレーニングを行っていた。
しかし、ある時壁にぶつかった。拳上できる重量もバウンディングの距離も停滞していた。トレーニングの方法を変えてみたり、予想以上に疲労が溜まっているのかと思い、休んだりしてみた。しかし、それほどの伸びはなかった。
そんな時、大学の生協でクレアチンを発見。クレアチンという名前は聞いたことがあったが、使ったことはなかった。「瞬発力が上がるらしい」ということは何となく知っていたが、筋肉が攣りやすくなるとも聞いたので、使わずにいた。
友人に聞いても「やっぱり攣りやすくなるんじゃないか?」または「実際に使ってみて、やっぱり攣りやすくなった」という声が多かった。でも、やっぱり気になってしょうがない。そこで、家のパソコンでクレアチンについて調べてみたところ、特に瞬発系の種目の競技者であれば感動する内容がヒットした。そして、懸念していた筋肉が攣るということも、どうやら水分をしっかり摂っていれば大丈夫らしい、という記述を発見。摂取の仕方も、ローディングという方法が効果的らしい、とも書かれていた。
翌日、大学の生協にてクレアチンを2個購入。その日のトレーニング後から使用し始めた。
ローディング期間が終了し、それからしばらく経ったある日。朝起きると、筋肉がいい感じで張っている感覚があった。そして夕方の練習時、いつものようにシャフトにウェイトを付けるために持った25kgのプレートが、いつもより軽く感じられる。
MAXに挑戦してみたところ、ベンチプレスでそれまでから+5kgの重量を挙げることができた。この時点でその効果に感動していたが、同じ日にパワークリーンをやってみてさらに驚いた。これも軽い!! まず床から引くところから、すごく軽いのだ。
次は、試しに走ってみた。身体が軽い!!それも、ただ身体が軽いのではない。足が速く回転し、それでいて地面から跳ね返ってくる力が大きくなっているような感覚だ。
その後、今までの停滞が嘘のように使用する重量は増えていき、3ヶ月でベンチプレスMAXを30kg更新することができた。体重も5kg増加し、競技でもいい成績を残すことができた。
人は成長を感じるとうれしいものだ。
今まで持ち上がらなかったものが挙がる、できなかったことができるようになる、その繰り返しによって、人は肉体的にも精神的にも強くなっていく。
時として壁にぶつかることもある。その壁を破るきっかけは人によって様々であるが、私にとってはそのひとつがクレアチンであった。
以来、クレアチンは私にとって単なるサプリメントではない。クレアチンは自分を成長させてくれた、大切な「マッスルメイト」なのだ。
株式会社ドーム サプリメント部 岡先 聖太
早稲田大学 スポーツ科学部 出身
競技歴:陸上競技 円盤投げ 現在体重 115kg
かつて挙げたベンチプレスMAX(230kg)、デッドリフトMAX(330kg)を再度挙げ、より高みへ至るためにトレーニング中。現在ベンチプレス190kg、デッドリフト280kg。
私が自分の筋肉と初めて出会ったのは、小学6年生の時。
比較的早い方ではないかと思う。
しかし、筋肉、筋力というものは小学校3年生という比較的早い時期から意識していたように思う。今考えると、育ってきた環境も大きかったのだろう。
私は誰もが驚くほどの山奥に生まれた。
街で育った友人が遊びに来れば、テレビでしか見たことのない風景と言われ、茅葺屋根の家も存在した。家に帰れば裏山で獲れたイノシシや鹿を庭で解体し、酒盛りが行われ、友人宅の前を流れる川で、50cmのオオサンショウウオを捕まえたこともあった。
とにかくそんな山奥で育った。
そんな山奥で、春には野山を駆け回り、夏にはプールよりも川で泳ぎ、秋には山にアケビを獲りに入り、冬には雪原で転げまわるなど、活発な幼少期をすごしていた。
ただ、私には周りの子どもたちと明らかに違うところがあった。
それは体重。
保育園に通い始めたころの体重は周りの友達の倍近く。小学校入学時の体重は40kg。2年生のころには60kgを超えた。つまり太っていた。それもかなり。記憶には太っている自分しかいないため、いつから太っていたかすら不明である。
そんな体格のため、小学校1年生から運動会での組体操6段ピラミッドでは1番下を任された。その他、綱引きでは頼りにされたが、運動会での花形は徒競走やリレー。しかしその体重ゆえ、走るのが苦手だった私は、徒競走やリレーで活躍できるはずもなく、小学校2年生まで足手まとい扱いだった。
そんな私の扱いを知ってか知らずか、小学校3年生のころ(当時体重70kg超)に父親から言われた言葉が、私の転機となったように思う。
「お前は筋肉がないから走っても遅いし、鈍くさいんだ。筋肉をつけて筋力をつけろ」
父親は比較的大柄であり、職種は林業。日々チェーンソーを担いで山に入り、よく力こぶを見せてくれていた。当時、私はまだ小学3年生。筋肉、筋力という言葉の意味もよく知らなかったが、なんとなく「力をつけて強くなればいいんだ」と理解したように思う。
余談だが、家に帰る道中、たまにイノシシや鹿に、ひどいときには熊にも遭遇した。特に帰宅中に熊に出会うと、足がすくんでまったく動けない。その身体の大きさ、たくましい前脚、爪、獣臭…。「蛇に睨まれたカエル」という言葉があるが、熊に出会うと別に睨まれなくても動けなくなるのだ。その時に人間の肉体的弱さを思い知らされた気がする。だからこそ、身体を強くしたいという思いが強くなったのかもしれない。
肉体への興味を持ち始めたころ、タイミングよく、通っていた小学校に相撲で国体に出場した先生が教頭として赴任してきた。そして私を見るなり、「相撲やろう」と誘ってきた。
力をつけて強くなりたかった私は、相撲を始めることになった。
四股やテッポウ、腕立て伏せやぶつかり稽古など、言ってみればこれが初めて経験する筋力トレーニングだったと思う。きつかったが、相撲を始めて半年後には県下の大会で優勝することができた。そこから身体を強くする楽しさに目覚め、飯を食い、稽古をした。小学校6年生になると、私は身長160cm、体重は90kgを超えるまでに成長した。
この時、私はあることに気づく。
身体は大きくなったが、走っても友達に負けなくなったのだ。運動会での見せ場は組体操と綱引きのみだった肥満児が、小学校6年生のころ(相変わらず肥満児だったが)には、徒競走やリレーでも頼りにされる存在になった。これは素直にうれしかったし、自信にもなった。
そしてこの時、決定的な出会いを経験した。
ただ何となくであるが、風呂上りに父親が力こぶを見せていたのを真似て、腕を曲げ、力を込めた。
すると、それまでぷにゅぷにゅだった腕の中に、固いボールのような何かを感じたのだ。
肥満児だったため、腕にカットが入っているわけではない。しかし触ってみると、柔らかい脂肪の奥に存在する筋肉を、確かに感じた。
「もしかして、これが僕の力こぶ?」
父親でも、学校の先生のでもなく、自分の筋肉。脂肪の下からだけど、少しだけ顔を見せてくれたシャイな筋肉とのマッスルミートだった。
中学に入り、陸上競技(砲丸投げ)と出会い、日々走ったり、跳んだり、投げたりといった練習を重ね、私の筋肉は次々と顔を出してきてくれた。
中学2年生の時からウェイトトレーニングも少しずつ行うようになってきた。
学校にサッカーの国体選手でもあった体育の先生が個人的に持ち込んだベンチプレスラックがあり、先生がベンチプレスをやっていた時、「お前もやってみるか?」と誘われ、生まれて初めてバーベルを握った。
その時、先生は60kgでトレーニングをしていたと思う。私も60kgに挑戦したが、いとも簡単にそれを挙げることができた。驚きの表情を浮かべた先生はその後、次々と重量を追加していく。そして私はそれらを次々と拳上していった。
先生のMAXである95kgを挙げ、調子に乗って100kgに挑戦、そして何とか拳上することが出来た。初めてのベンチプレスMAX挑戦は、中学2年生の5月時に100kgということになった。
この時の体重は90kg前後。はじめて自分の体重以上のものを持ち上げることができ、自分の筋力を数字で認識できたことで、何とも言いようのない、それでいて気持ちのいい達成感を覚えた。
そして、それには中毒性すらあるようだった。今まで感じたことのない、パンパンに張った胸や肩から発せられる筋肉の叫びが聞こえてくる。これまでシャイだったのが嘘かのように、
「もっと刺激を!!」
「もっと重さを!!」
「そうすれば強くしてやる!!」
「彼ら」はそう叫んでいた(ように思えた)。私が初めて彼らに出会ったのは小学校6年生のころだが、声を聞いたのは中学2年生の5月。適切に話しかければ、彼らは顔を出してくれる。そう感じた私は15年以上、いまだに対話を続けている。
長年の対話を通してわかったことがある。それは彼らが飽きっぽく、そして嫉妬深いということだ。同じことを繰り返して退屈させてもダメだし、他の楽しいことにかまけていると、すぐにそっぽを向く。
大飯食らいでもあり、自分の食欲を超えても、彼らに食わせなければならないこともしばしば。時にはさまざまな快楽に背を向けて、彼らと向き合わなければならないこともある。
しかし、彼らは私が本気で向き合えば、確実に私の身体を強くしてくれた。「もっと大きく、もっと速く、もっと強く」という私の願望を裏切ることは、決してなかった。
そして、誰もが驚く山奥で育った私にさまざまな世界を見せてくれ、多くの仲間も作ってくれた。これが彼らの素晴らしいところだと思う。また、いくつかの研究によれば、たとえ90歳を越えたとしても、彼らは成長するらしい。一生をともにすれば、決して退屈することはないだろう。
私はこれからも彼らとの対話を続けていくが、彼らが今後どんな世界を見せてくれるか、楽しみにしていようと思う。
私が筋肉を発達させていく上で、もっとも重要な盟友といえばクレアチンである。
マッスルミートを経て筋肉と対話するようになると、彼らの要求はエスカレートしてくる。そしてその要求に応え続けることで、彼らの支持を得ることができる。そうすれば彼らは、必ず成果を出してくれるのだ。
大学生のころ、当時私は陸上競技の選手(このころは円盤投げ)としていい成績を残すために、とにかくガムシャラにハードなトレーニングを行っていた。
しかし、ある時壁にぶつかった。拳上できる重量もバウンディングの距離も停滞していた。トレーニングの方法を変えてみたり、予想以上に疲労が溜まっているのかと思い、休んだりしてみた。しかし、それほどの伸びはなかった。
そんな時、大学の生協でクレアチンを発見。クレアチンという名前は聞いたことがあったが、使ったことはなかった。「瞬発力が上がるらしい」ということは何となく知っていたが、筋肉が攣りやすくなるとも聞いたので、使わずにいた。
友人に聞いても「やっぱり攣りやすくなるんじゃないか?」または「実際に使ってみて、やっぱり攣りやすくなった」という声が多かった。でも、やっぱり気になってしょうがない。そこで、家のパソコンでクレアチンについて調べてみたところ、特に瞬発系の種目の競技者であれば感動する内容がヒットした。そして、懸念していた筋肉が攣るということも、どうやら水分をしっかり摂っていれば大丈夫らしい、という記述を発見。摂取の仕方も、ローディングという方法が効果的らしい、とも書かれていた。
翌日、大学の生協にてクレアチンを2個購入。その日のトレーニング後から使用し始めた。
ローディング期間が終了し、それからしばらく経ったある日。朝起きると、筋肉がいい感じで張っている感覚があった。そして夕方の練習時、いつものようにシャフトにウェイトを付けるために持った25kgのプレートが、いつもより軽く感じられる。
MAXに挑戦してみたところ、ベンチプレスでそれまでから+5kgの重量を挙げることができた。この時点でその効果に感動していたが、同じ日にパワークリーンをやってみてさらに驚いた。これも軽い!! まず床から引くところから、すごく軽いのだ。
次は、試しに走ってみた。身体が軽い!!それも、ただ身体が軽いのではない。足が速く回転し、それでいて地面から跳ね返ってくる力が大きくなっているような感覚だ。
その後、今までの停滞が嘘のように使用する重量は増えていき、3ヶ月でベンチプレスMAXを30kg更新することができた。体重も5kg増加し、競技でもいい成績を残すことができた。
人は成長を感じるとうれしいものだ。
今まで持ち上がらなかったものが挙がる、できなかったことができるようになる、その繰り返しによって、人は肉体的にも精神的にも強くなっていく。
時として壁にぶつかることもある。その壁を破るきっかけは人によって様々であるが、私にとってはそのひとつがクレアチンであった。
以来、クレアチンは私にとって単なるサプリメントではない。クレアチンは自分を成長させてくれた、大切な「マッスルメイト」なのだ。
株式会社ドーム サプリメント部 岡先 聖太
早稲田大学 スポーツ科学部 出身
競技歴:陸上競技 円盤投げ 現在体重 115kg
かつて挙げたベンチプレスMAX(230kg)、デッドリフトMAX(330kg)を再度挙げ、より高みへ至るためにトレーニング中。現在ベンチプレス190kg、デッドリフト280kg。